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仙台地方裁判所古川支部 昭和45年(ワ)138号 判決

原告

千葉三郎

ほか一名

被告

高橋順一

ほか一名

主文

被告らは各自、原告千葉三郎に対し金六四四万八、六三〇円、原告千葉ノブ子に対し金九一万円、およびこれら金員に対し昭和四五年一〇月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告らの、その余を被告らの各負担とする。

この判決は、原告ら各勝訴部分に限り仮に執行することができる。ただし、被告高橋成道において、原告千葉三郎に対し金二〇〇万円、原告千葉ノブ子に対し金三〇万円の担保を供するときは、同被告に対する仮執行を免れることができる。

事実

第一、原告らは「被告らは各自、原告千葉三郎に対し金一、〇五五万五、〇〇〇円、原告千葉ノブ子に対し金一五〇万円、および右各金員に対する昭和四五年一〇月七日から完済に至るまで各年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決と仮執行宣言を求め、請求の原因として次のとおり陳述した。

一、原告千葉三郎(以下原告三郎と略称)は、昭和四二年七月八日午後八時四〇分頃、栗原郡瀬峰町藤沢字下藤沢一八二の四番地先道路を高清水町方面から瀬峰駅前方面に向け自動二輪車を運転進行中、おりから時速約四〇キロで対向進行して来た被告高橋順一(以下被告順一と略称)運転の普通貨物自動車(以下加害車と略称)に正面衝突して同所に転倒し、同日から現在に至るまで入院し、今後なお当分の間入院加療を要する左側頭骨骨折、頭蓋底骨折、脳内出血、左大腿骨骨折、左大腿骨慢性骨髄炎の重傷を負つた。

二、右事故当時、被告順一は酩酊して注視力も散漫となつていたのに敢えて前記貨物自動車を運転していたのであるが、前方注意を怠り、かつ、道路右側部分を運転進行したために自車を反対方向から進行してきた原告三郎運転の自動二輪車に激突させるに至つたものである。このように、本件事故は被告順一の一方的過失によつて惹起されたものであるから、同被告は右過失により原告三郎に傷を負わせたことによる損害を賠償すべき義務がある。

被告高橋成道(以下被告成道と略称)は肩書地において農業を経営しているものであるが、被告順一は同被告の長男であり、かつ、その後継者として同被告とその生計を一つにして、同被告の経営する農業に従事するかたわら、前記貨物自動車を保有していて、これを農業経営のために利用使用し、また、農閑期には運賃とりの仕事にも従事していたものである。しかし、それらの利用・使用による利益のすべて又は一部分は、一家の主宰者たる被告成道に帰属していたのである。すなわち、被告成道は自己の経営する農業のために被告順一を使用し、かつ、同被告に前記自動車を運転させてこれを利用使用していたのみならず、一家の経済上から、農閑期には被告順一をして右貨物自動車により利益を挙げさせていたものである。また、本件事故は被告順一をして被告成道のために前記貨物自動車で運賃かせぎをせしめその帰途に惹起したものである。

従つて、被告成道および被告順一は何れも自己のため自動車を運行の用に供する者として、やはり、本件事故による損害を賠償する義務がある。

三、本件事故により原告らの受けた損害は次のとおりである。

原告千葉三郎の損害一、一三五万五、一八五円

A  積極損害一九四万九、二一八円

(一) 医療費一〇三万八、四一八円

原告三郎が本件事故による傷害の治療のため、高橋整形外科医院に昭和四二年七月九日から昭和四五年四月三〇日まで入院して要した医療費九四万二、一七五円。

昭和四三年八月、本件事故による傷害治療中罹患した慢性湿疹の治療のため守安医院に通院して要した医療費八四八円。

昭和四四年一〇月二五日から同年一二月二〇日までの間、東北労災病院に入院し、ならびに通院し、後遺症等の精密検査のために要した医療費一万五、三九五円。

および、昭和四五年五月一日以降治癒の見込まれる昭和四五年一二月三一日までの一か月当り一万円計八万円の医療費見込額。

以上の合計額である。なお、現在も高橋整形外科に入院中である。

(二) 付添看護料九一万〇、八〇〇円

原告三郎が本件事故による傷害のため前記高橋整形外科に入院中、医師の指示により七五九日間、姉正枝が付添看護したことによる一日当り一、二〇〇円の割合による看護料の七五九日分の合計額である。

B  逸失利益六四〇万五、九六七円

(一) 休業による損害一三四万七、七一五円

1 原告三郎は昭和二四年四月八日生まれの、本件事故当時満一八才のきわめて頑健な男子であり、母である原告ノブ子の経営する農業に従事し、右農業を後継するものと目されていた。

2 原告両名の家族は、原告千葉ノブ子(母、四三才)、正枝(姉、二〇才)、原告三郎(一八才)のほか原告三郎の弟(一五才)と妹二人(一三才、一一才)であり、右のうち本件事故当時家業の農業に従事していたものは、経営を主宰する原告ノブ子、千葉正枝、原告三郎の三名であり、実際の農業の従事状況等を勘案すれば、その農家経営に対する寄与率は原告ノブ子、千葉正枝各三〇パーセント、原告三郎四〇パーセントである。

3 原告両名方においては、田二八〇アール、畑一〇アールを耕作している。

ところで、農林省宮城統計調査事務所編集、宮城農林統計協会発行の昭和四二年~昭和四三年の宮城農林水産統計年報(八四頁乃至八六頁)によれば、宮城県内による米(主産物)についての一〇アール当りの収益を見ると、

収量 五一八キログラム

右の価額 六万四、二九〇円

生産費 三万五、一七二円

であるところ、右生産費のうちの家族自給労働費一万四、二九七円は現実には金銭で支出されるものではなく、一般に純収益と考えられるものであるから、米による一〇アール当りの純収益は右生産費三万五、一七二円から右家族自給労働費一万四、二九七円を差し引いた二万〇、八七五円を、右の価額六万四、二九〇円から差し引いた四万三、四一五円である。原告ら方の田の耕作面積は二八〇アールであるから、右四万三、四一五円に二八を乗じた一二一万五、六二〇円が原告ら方の米による純収益である。

また、宮城県内における小麦(主産物)についての一〇アール当りの収益を見ると、

収量 三六七キログラム

右の価額 一万八、一九四円

生産費 一万八、二九七円

であるところ、前記のとおり、右生産費のうちの家族自給労働費九、一五四円は現実には金銭で支出されるものではなく、一般に純収益と考えられるものであるから、小麦による純収益は、右生産費一万八、二九七円から右家族自給労働費九、一五四円を差し引いた九、一四三円を、右価額一万八、一九四円から差し引いた九、〇五一円である。

普通畑は年二回転耕作するのが通常であり、また、原告ら方の普通畑の面積は前記のとおり一〇アールであるから、原告ら方における普通畑(小麦)による年間純収益は、右九、〇五一円に二を乗じた一万八、一〇二円である。

よつて、、原告ら方の年間農業収益は、右米による収益一二一万五、六二〇円と、右小麦による収益一万八、一〇二円を加えた一二三万三、七二二円である。

原告三郎のこの農家収益に対する寄与率は前記のとおり四〇パーセント以上であつたから、同人の農業による年間の収益は、右の同人方の年間農業収益一二三万三、七二二円に一〇〇分の四〇を乗じて得た四九万三、四八八円である。

4 原告三郎は現在なお入院加療中であるが、治癒見込期間である昭和四五年一二月末まで治療を要するものとすると、事故発生時より少なくとも三か年間は得べかりし前項の同原告の年間の農家収益金額の収益をあげることができなくなつたわけであるから、その間の休業による損害は、前記同原告の年間農家収益の三年分を本件事故時に受けとるものとして、その額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した一三四万七、七一五円である。

(二) 後遺症による逸失利益五〇五万八、二五二円

原告三郎は、本件事故による傷害の治癒後もこれにより精神に障害が残り、記銘力低下著明、痴呆が見られ、身体的には手指震頭、言語渋滞の認められる中枢性平衡機能障害(第一三級)の後遺症が残ることは確実であり、労働者災害補償保険の身体障害等級によれば右は九級一三号、また、他に左下肢二センチメートル短縮、右膝関節屈伸不自由の後遺症が残り、右後遺症は労災保険身体障害等級によれば、前者は一一級八号、後者は八級一〇号に該当する。以上各後遺症による労働能力喪失率は労働基準局長通達昭和三二年七月二日基発第五五一号労働能力喪失率表によれば五六パーセントである。

ところで、原告三郎は前記のとおり本件事故当時全く健康で農業に従事していたものであるから、少なくとも満六三才に達するまでは就労可能であつたものであるところ、昭和四六年一月以降満六三才に達するまでの四五年間は、右後遺症による労働能力喪失により、同原告の前記年間農家収益の少なくとも五〇パーセントの得べかりし収益を失うことになつた。その損害額は、前記年間収益四九万三、四八八円に〇・五を乗じた額の昭和四六年一月以降の四五年間分を本件事故時に受けとるものとして、その間の年五分の割合による中間利息を右総額からホフマン式計算法により差し引いた五〇五万八、二五二円である。

C  慰藉料三〇〇万円

原告三郎は、前記のとおり被告順一の一方的過失により重大な傷害を受け、非常な苦痛を味わうとともに、右傷害の治癒後も前記の重度の中枢性平衡機能障害の後遺症が残り、服することのできる労務が著しく制限されることとなり、今後長年にわたつて悲痛と絶望感を味わいながら死にまさるとも劣らない苦労を重ねていかなければならないことは明らかである。その他被告らの本件賠償問題についての不誠意、その資産、生活程度などすべての事情を考慮すれば、原告三郎の受けた精神的損害は到底三〇〇万円を下るものではない。

原告千葉ノブ子の損害一五〇万円

A  慰藉料一〇〇万円

原告ノブ子は原告三郎の母親であり、今後農家経営の一切を委ねるべく楽しみにしていた原告三郎の本件事故による前記のような死にも等しい重大な傷害により、全く悲嘆と苦痛のどん底に投げこまれた。それは、今後も日々味わわねばならぬものであり、それによる失意、苦痛は筆舌に尽くし難いものがある。さらに、前記のような被告ら側の諸事情を考慮すれば、原告ノブ子の受けた精神的損害は到底一〇〇万円を下るものではない。

B  弁護士費用五〇万円

原告らは、被告らの本件賠償問題についての不誠実な態度により本訴提起を余儀なくされたが、いずれも訴訟手続には全く不慣れであつて、訴の提起、遂行は不可能であるので、やむなく弁護士にその請求手続を委任した。これにより、原告ノブ子は弁護士に対し手数料(着手金)として金二〇万円を支払い、報酬(謝金)として金三〇万円を支払うことを約した。右はその合計金である。

自賠責等からの支払受領額八〇万円

原告三郎は、自賠法による賠償金として五〇万円、見舞金として被告順一から昭和四四年七月に五万円、被告成道から昭和四四年一二月に二五万円をそれぞれ受領した。右はその合計額である。

四、よつて被告らに対し、原告三郎は前記積極損害、逸失利益および慰藉料の合計額一、一三五万五、一八五円から前項の支払金を差し引いた一、〇五五万五、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満は請求しない。)、原告ノブ子は前記慰藉料および弁護士費用の合計額一五〇万円、および右各金に対する本訴状送達の日の翌日から各完済に至るまで各民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。

〔証拠関係略〕

第二、被告高橋順一は、公示送達による適式の呼出を受けたのにかかわらず、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書も提出しない。

第三、被告高橋成道は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因に対する答弁として、原告ら主張の日時場所において原告ら主張のとおり事故が発生し、原告千葉三郎が傷害を受けたこと、被告高橋順一に原告ら主張のとおりの過失があつたこと、被告高橋順一が加害車両の所有者であること、被告高橋成道の長男であること、以上の事実は認めるが、被告高橋成道が加害車両の保有者であるとして原告ら主張する事実は否認し、同被告に保有者責任があることは争う、原告らの損害額については知らない、と述べた。

〔証拠関係略〕

理由

一、昭和四二年七月八日午後八時四〇分頃、宮城県粟原郡瀬峰町藤沢字下藤沢一八二の四番地先道路において、原告三郎運転の自動二輪車と被告順一運転の普通貨物自動車が正面衝突して原告三郎が転倒し、頭蓋底骨折、脳内出血、左大腿骨骨折、左大腿骨慢性骨髄炎の重傷をうけたことは、原告らと被告成道との間では争いがなく、原告らと被告順一との間においては、〔証拠略〕によりこれを認めることができる。

また、原告らと被告順一との間において、〔証拠略〕によると当時、被告順一は呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラムのアルコールを身体に保有し、酒に酔つて正常な運転ができないおそれがあつたのだから自動車を運転すべきでなかつたのに貨物自動車を運転したこと、事故現場は被告順一からみて見とおしの効かない屈曲部分であるから、前方を注視し、中央線より道路左側部分を進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠つて、前方不注視のまま道路右側部分を進行し、そのため前方二〇・五メートルに原告三郎運転の自動二輪車を発見し、そのままの速度でさらに一〇メートルも進行して原告三郎と至近距離に接してから急ブレーキをかけたという過失があり、このため本件事故が発生したことを認めることができる。

二、このように、本件事故が被告順一の過失によつて生じたものである以上、被告順一は不法行為者として被害者に対し損害賠償の義務があるというべきである。原告らは被告順一について、保有者責任と不法行為責任の双方をあわせ主張しているが、不法行為責任が認められる以上、保有者責任の有無について判断をするまでもないと解する。

三、次に、原告らと被告成道との間において、同被告が加害車の保有者として損害賠償の義務があるか否かを判断する。

〔証拠略〕によると、被告成道は、田三一七アール、畑四五アールを耕作する農業経営者で、被告順一はその長男であつて、被告成道の農業後継者として中学校卒業以来農業に従事していたが、体力が弱いため二〇才を過ぎた頃の昭和三八年頃に一〇万円で中古の普通貨物自動車を買い求めて砂利運搬の仕事を始め、昭和四〇年頃にこの自動車を下取りしてもらつて中古の普通貨物自動車を買い替え、さらに昭和四二年に右自動車を下取りしてもらつて本件加害車両を買い替えたこと、これら自動車は被告順一名義で登録しており、自動車の月賦代金も被告順一が働いて得た運賃収入で支払つていたことが認められるが、これら証拠によると、被告順一が最初に貨物自動車を買い求める際に、その代金の半額は被告成道が支払つてやつたこと、本件加害車両について廃車の手続や廃車前二期分の納税は被告成道が行なつたことが認められるし、被告順一は貨物自動車を運転して砂利運搬の仕事をしていたといつても、それは被告成道の容認と庇護のもとに農業を離れて自活するためのいわば準備的段階にあつたというにすぎず、したがつて、被告順一は被告成道の家族として同一世帯のもとで被告成道から扶養されており、被告順一の得た運賃収入は同被告の小遣とか自動車の月賦代金の支払にあてていたにすぎず、しかも農繁期には被告成道が被告順一をして右の自動車を運転させて稲あげとか産米の運搬をして被告成道の農業経営に従事させていたことが認められるので、被告順一の生活面および同被告が貨物自動車を運転して砂利運搬の仕事をしていることも、被告成道の指図・支配下にあつたものということができ、このような状態のもとで、本件加害車両が被告順一の登録名義になつており、被告順一がこれを用いて砂利運搬の仕事をして運賃収入を得ていたといつても、被告順一が独立して世帯をもち、その運賃収入で生計を立てるまでに至つていない段階においては、または、同被告が貨物自動車を所有し、砂利運搬の仕事をすることが被告成道の意思に違背していると認められない限りは、被告成道は本件加害車両について、自動車損害賠償保障法三条にいう「自己のために自動車を運行の用に供する者」の地位にあるということができ、したがつて、本件加害車両の運行によつて生じた本件事故について、被害者に対し損害賠償の義務があるといわなければならない。被告成道本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できない。

四、〔証拠略〕によると、被告順一運転の本件加害車両が道路右側部分を通行していたが、対向の原告三郎運転の本件被害車両も道路中央付近で右側寄りの部分を通行していたこと、衝突地点が道路中央線より原告三郎からみて右側、被告順一からみて左側、すなわち、被告順一の通行区分帯であつたことが認められる。被告順一は対向してきた原告三郎を発見したとき、道路左側に寄つて避けようとしたのであるから、原告三郎もまた道路左側の自己の通行区分帯に寄つて被告順一運転の車両を避譲すべきであつたのに、かかる措置をとらず、またはとる間もないままに衝突したものと認められる。〔証拠略〕によると、本件事故現場は、普通に車両の交通量があるところの幅員五・五メートルの舗装された市街地道路であつて、前述のように前方見とおしの悪い曲つたところであるから、原告三郎としては、前方をよく注視して中央線より道路左側を通行し、対向の被告順一運転車両を発見したならば道路左側に寄つてこれを避譲すべきであつたのに、これを誤つたという過失があつたことになり、これが本件事故の一因となつているということができる。被告らの主張はないが、職権により、被告らの損害賠償額を定めるに当つてこれを斟酌することととする。

五、次に、原告らの損害額について判断する。

イ、原告三郎の損害について

(一)  〔証拠略〕によると、原告三郎は本件事故により生ぜしめられた左側頭骨骨折と脳内出血、頭部外傷後遺症、左大腿骨骨折、左大腿骨慢性骨髄炎、腹部打撲症、右胸部打撲症のため、昭和四二年七月八日から昭和四六年一月二八日の原告ノブ子本人尋問があつた日まで高橋整形外科医院に入院し(その間、本件事故による傷害治療中に罹患した慢性湿疹のため他の医院に通院し、また、後遺症の精密検査のため他の病院に通院や入院したこともある。)、治療を受けたが、左足が右足より二センチメートル短かくなつてしまい、そのほか手指や頭がふるえたり、中枢平衡機能麻痺や言語障害があるという後遺症が残り、時折、病院内を松葉づえを用いて歩行できるとはいえ未だ退院の見込もたつていないこと、痴呆状態となつて用便も一人でできない状態にあることが認められ、昭和四二年七月九日から昭和四五年一二月三一日まで治療費として一〇三万八、四一八円を支出したことが認められる。また、原告三郎の右のような症状のため、同人の入院中、医者の指示によつて原告ノブ子、原告三郎の姉正枝、原告ノブ子の母親が交互に原告三郎に付き添つていたこと、付添人の報酬が一日につき一、二〇〇円であることが認められるので、この付添料相当分七五九日分合計九一万〇、八〇〇円についても医療関係費用として、本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害ということができる。

(二)、〈1〉、〔証拠略〕によると、原告三郎は原告ノブ子の長男であつて、原告ノブ子の農業後継者になつていたこと、原告ノブ子は田二八〇アール、畑一〇アールを耕作し、事故直前までは原告ノブ子、原告三郎および原告三郎の姉正枝が農業に従事していたが、原告三郎の農業寄与率は四〇パーセント以上であつたこと、農林省宮城統計調査事務所作成の宮城農林水産統計年報によると、昭和四二年および四三年の宮城県の米の一〇アール当り収量は五一八キログラム、その価額は六万四、二九〇円、生産費は三万五、一七二円であり、生産費のうち家族自給労働費は一万四、二九七円であることが認められるが、この家族労働費は現金で支給されるものではないから、生産費はこれを差し引いた二万〇、八七五円とみるべきであり、そうすると一〇アール当り純収益は四万三、四一五円ということになり、〔証拠略〕によると、原告ノブ子方においてもこれ以下ではない収益を得ていたことが認められるところ、原告ノブ子の田は二八〇アールであるから、その年間純収益は一二一万五、六二〇円であると認めるのが相当である。また、右年報によると、昭和四二年および四三年の宮城県内の小麦の一〇アール当り収量は三六七キログラム、その価額は一万八、一九四円、生産費は一万八、二九七円であり、生産費のうち家族自給労働費は九、一五四円であることが認められるが、前同様、これを右の生産費より控除した九、一四三円が生産費とみるべきであり、そうすると、一〇アール当り純収益は九、〇五一円ということになるが、普通、畑は年二回耕作し、また、原告ノブ子の畑は一〇アールであるから、その年間純収益は一万八、一〇二円と認めるのが相当である。そうすると、原告ノブ子の農業による純収益は一年につき一二三万三、七二二円であると認められる。そして、原告三郎の農業寄与率が四〇パーセントとすると、同人の農業による純収益は一年につき四九万三、四八八円ということになる。そして、原告三郎は前述のとおり昭和四二年七月九日から昭和四六年一月二八日まで入院加療を受けていたから、少なくとも昭和四三年、四四年および四五年の三年間は耕作、田植、田畑の手入れおよび収穫の農作業に全く従事できなかつたことになり、この三年間は原告ノブ子において、原告三郎の農業寄与率分に相当する他の労働力を雇い入れて農業を経営しなければならなくなつたのであり、それは、原告ノブ子が原告ら方の農業経営者であり、かつ、世帯主であることから、原告ノブ子の積極的損害として現われることになるわけであるが、他方においては、原告三郎の得べかりし利益の喪失という形でも現われ、これは金額の面では同一であるということができる。そこで、これを後者の側においてとらえるとき、原告三郎の農業による純収益は年間四九万三、四八八円であるから、この三年分は一四八万〇、四六四円ということになる(原告らはこれを事故時に受けとるものとして中間利息を控除して請求しているが、本件訴状が被告成道に送達され、又は被告順一について送達の効力が発生した日においてはその九割以上が休業期間経過後の分となつているので、中間利息の控除はしないこととする。)。

〈2〉、原告三郎には、本件事故により左下肢が短縮し、精神面では痴呆状態になつており、さらに中枢平衡機能麻痺、言語障害等の後遺症があつて治癒の見込がたたないでいることは前認定のとおりであり、〔証拠略〕によると、これは労働者災害補償保険級別では九級一三号に該当することが認められ、これによる労働能力喪失率は一〇〇分の五六にあたると認めるのが相当である。したがつて、原告三郎は昭和四六年以降は労働能力を五〇パーセント以上喪失し、これは原告三郎の農業による純収益の五〇パーセント以上を失うという形で現われることになる。ところで、原告三郎は昭和四六年一月一日現在で二一才であるから、運輸省自動車保障課作成の「政府の自動車損害賠償保障事業損害査定基準」によると、就労可能年数は四二年(六二才まで)ということになる。ところで、原告三郎が健康体で稼働し続けて行くものと仮定した場合、原告ノブ子が今後老令化し、原告三郎の姉正枝が他に嫁ぐことや原告三郎の弟妹が成長してくること、原告三郎自身配偶者を迎えること等が考えられるので、原告三郎の農業寄与率が四〇パーセント以上という状態がその就労可能年数を通じて不定のものであるとはいえない。しかしながら、総理府統計局編日本統計年鑑の年令階級別配偶者別人口表を参考にして、原告三郎が二五才で配偶者を迎えるものとした場合、それまでは原告三郎の農業寄与率は四〇パーセント以上であると仮定できるし(原告ノブ子が老令化し、正枝が他に嫁げば、原告三郎の農業寄与率は増大することになる。)、二五才で妻を迎えてからも、子供をもうけてそれが一人前に成長するまではやはり原告三郎は四〇パーセント以上の寄与率を保つていると仮定し得るから、原告三郎は五〇才まで三〇年間は同一の農業寄与率を保ち、同原告が五一才に達したときその子が二五才に達すると考えると、五一才から六二才まではこれが半減すると認めるのが相当である。このようにして、原告三郎の後遺症による逸失利益をホフマン式計算による中間利息を控除して計算すると次のようになる。その金額は四九七万四、六〇六円である。

(493,488×50/100)×18,029+{(246,744×50/100×22,293)-(246,744×50/100×18,029)}=4,974,606

注 493,488……農業寄与率40%の場合の年間純収益

246,744……農業寄与率20%の場合の年間純収益

18,029……可働年数30年の場合のホフマン式計算による係数

22,293……可働年数42年の場合のホフマン式計算による係数

〈3〉、結局、逸失利益と後遺症による逸失利益とを合計すると、六四五万五、〇七〇円となるので、六四〇万五、九六七円をもつて損害額とする原告三郎の主張は右認定の範囲内の金額となり、結局、理由があるということになる。

(三)、原告三郎は、前認定のとおり、本件事故により精神障害を伴う重大な傷害を受け、治癒の見込がたたない状態で日常の生活も満足にできないのであるから、これにより受けた精神的損害は死にまさるとも劣らないものということができる。原告三郎の年令を考慮のうえその精神的損害を金銭に見積つた場合、二〇〇万円とするをもつて相当と認める。したがつて、慰藉料に関する原告三郎の主張はこの限度で理由がある。

ロ、原告ノブ子の損害について

(一)、原告ノブ子は原告三郎の母親であるところ、原告三郎が本件事故により受けた傷害の程度は前認定のとおりであり、これは死亡に準ずるような重大な傷害であるから、原告ノブ子は、原告三郎の生命が害された場合に比肩すべき精神上の苦痛をうけた場合にあたるということができ、原告ノブ子についても慰藉料請求権が認められるべきである。そしてこれを金銭に見積つた場合、一〇〇万円とするをもつて相当と認める。したがつて、これに関する原告ノブ子の主張は理由がある。

(二)、〔証拠略〕によると、原告ノブ子は被告らから損害賠償の支払をうけられないため本訴提起を余儀なくされ、弁護士にその手続を委任し、手数料として二〇万円を支払い、報酬として三〇万円を支払うことを約したことが認められる。事件の内容、訴額からみるとき、これは相当額の金額であるが、本訴認容額が後述のように請求金額の約六割となつているので、このことからみて、このうち三〇万円が本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害と認められる。よつて、原告ノブ子の主張は右限度で理由があることとなる。

六、結局、原告らの損害額は、原告三郎につき一、〇三五万五、一八五円、原告ノブ子につき一三〇万円ということになるが、本件事故について原告三郎にも過失のあつたことは前に認定したとおりであり、その過失の態様をみるとき、その過失割合は三〇パーセントとするのが相当であるから、これを考慮して被告らの賠償額をきめると、原告三郎に対し七二四万八、六三〇円、原告ノブ子に対し九一万円ということになる。そして、原告三郎が自動車損害賠償保険を五〇万円、被告らから計三〇万円、合計八〇万円の支払をうけたことはその自認するところであるから、これを控除すると、被告らは各自、原告三郎に対し六四四万八、六三〇円、原告ノブ子に対し九一万円をなお賠償する義務があるということになる。

次に、昭和四五年一〇月六日までの間に本件訴状が被告順一につき送達の効力が発生し、また、被告成道につき送達されたことは記録上明白であるから、被告らは原告らに対し各自、右各金額とこれに対する昭和四五年一〇月七日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるというべきである。

そこで、原告らの本訴請求は、原告三郎について六四四万八、六三〇円、原告ノブ子について九一万円、およびこれら金員に対する昭和四五年一〇月七日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で正当として認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行とその免脱の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤清実)

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